シン・エヴァンゲリオン劇場版感想【フォースインパクトを止める鍵】

シンエヴァンゲリオン

※すべてのエヴァンゲリオンファンのひとりとして、ラストシーン(宇部新町駅)についてはふれません※

 

本当にいい映画でした。

私は4回見ましたが、すべて新しい発見があり、すべて見た価値がありました。

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前回のブログにて第3村の大切さとそっくりさんについて話をしました。

 

今回はその内容を踏まえてフォースインパクトを止めるための鍵について話をしていきます。

フォースインパクトを止める鍵 

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フォースインパクトを精神的に止めるきっかけを作った「そっくりさん」の影響から、シンジ君は決断ゲンドウと対話し、ゲンドウの根底にあるものを見つけ解決してあげました。

あとは終焉に向かうために、フォースインパクトを止めないといけません。

フォースインパクトを物理的にに止めるきっかけを作ったのは葛城ミサトさんでした。

 

ミサトの根底

ミサトは、いつもその人の行動を尊重していました。

その行動は、「破」でシンジ君に声をかけた「自分自身の為に」という言葉に表れていると思います。

さらに、加持さんがサードインパクトを止めようと行動したときに、

涙を見せずに送り出したのだと思います。

 

ミサトの使命

今回は破の最後のみさとさんの発言が、

「Q」ミサトさんを苦しめ、

この映画まで影響を及ぼしていることに驚きました。

 

ミサトさんがシンジくんに発言した言葉。

ミサトさんにはサードインパクトで感じて、

加持さんとの間に大切な子供ができたにもかかわらず、

子供の幸せのために向き合った14年間。

 

それはシンジ君にあのような決断をしてくれました責任。

今までのエヴァンゲリオンでも

責任感を感じるミサト様が描かれてましたが、

子供ができてまでシンジくんを守ろうとするミサトさんの姿

そのために過去の自分の姿を捨てた姿

上記からミサトさんの本当の優しさと言うものを感じましたただ本当の心を感じました。

 

しかし、ミサトさんでさえゼーレとゲンドウからすれば、死海文書のシナリオの一つ”でしかありませんでした。

では、なぜフォースインパクトを止めることができたのか?

それはミサトさん自分の行動を尊重したことだと思います。

これまで、「誰かの行動を尊重」してきたミサトさん

しかし、ミサトさんはその尊重の責任を自分自身が負う立場で、

自身の行動は責任だけであり、決して自分自身の行動を尊重していなかったと思われます。

 

最後の、自分たちで槍を作り、シンジ君に届けようとする姿勢は、ミサトさんが自身の行動を尊重した結果であり、ゼーレとゲンドウからすれば予想外の行動だったと思われます。

 

自身の殻を破ったからこそ、ミサトさんは髪を解き14年前の姿に戻ったとのだと思います。

そして、

槍を届けた後の死様

これには感動しかなかったです。

この最後のエヴァンゲリオンを見るともう一度"ミサトさん目線"で「破」を見たくなります。

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ミサトさん目線のエヴァンゲリオンを希望 

今回の映画を見て、「破」から「Q」まで14年もの歳月が過ぎれいる理由がようやくわかりました。

それは、今回の物語が「シンジくん」目線だったからです。

14年間シンジくんはLCLの中にいたので、期間があっという間にすぎたのだと思います。

この14年を知るためには、「葛城ミサトエヴァンゲリオン」を見るしかありません。

 

しかし、普通のアニメであれば主人公がいない回はよくあります。

庵野総監督があえてそうしなかったことを考えると、セカンドインパクト以前からの「葛城教授」との家族生活と、セカンドインパクトからネルフに参加する過程も必要となってくると思います。

※個人的にはここまで外伝として観てみたいです。

 

ここまで記入してフォースインパクトを止める鍵が足りない!

フォースインパクトを止める鍵として記入中に何かが足りないことに違和感を感じました。

もう一度振り返ってみると、それは冬月教授の存在でした。

冬月教授は・・・

そして、主人公のシンジくん、ゲンドウの行動の根底にあったものとは…

話が長くなってきたのでここから先は次回のブログで考えていきます。

 改めて振り返りをしてみるとエヴァンゲリオンという作品の奥の深さは本当に計り知れないです。

 

【ラストシーンに触れない理由】

実写映像の宇部新町駅のシーンに2次元のエヴァンゲリオンキャラクター。

私は、この前シーンのマリが海に飛び込んだ後、後日談と判断しました。

その理由としては、ここまでの映画の流れからハッピーエンドに向かったとかんがえたこと、シンジ君の夢落ちと考えた場合にDSSチョーカーと同様の首飾りがついていた理由がわからないからです。

このために私は、後日談と考えて終わりにしました。